新幹線 0系

解説
1964年、東海道新幹線の開通に合わせて製造された電車。高度経済成長時代を象徴する存在として、長く親しまれている。
老朽化した0系を新たな0系で置き換えるという方針で製造されたため、1986年までの22年間製造され、なんと38次車まで存在し、合計で3,216両(約201編成分)が製造された。
山陽新幹線が博多まで開通した当初は、食堂車が増備されたこともある。
1999年9月18日の「こだま473号」を最後に、東海道新幹線から完全に撤退。その後は山陽新幹線や博多南線で運行され、2002年より濃淡グレーにフレッシュグリーンのラインを配置した山陽新幹線独自の配色に変更。
2008年より青と白の配色に復刻され、同年11月30日には山陽新幹線の定期運用から撤退。
そして2008年12月14日、「ひかり340号」及び「ひかり347号」として新大阪~博多間を結び、その44年の歴史に幕を閉じた。
現在はさいたまの鉄道博物館、名古屋のリニア・鉄道館、大阪の交通科学博物館(現在は閉館、2016年春に京都鉄道博物館に移設予定)を始め、多くの鉄道公園に展示されている。また、イギリス国立鉄道博物館にもJR西日本が寄贈した0系が展示されている。
その他の写真
管理人の編集後記
世界に「SHINKANSEN」の名を轟かせた0系。実は2回しか乗ったことがありません。
1回は2007年に博多南線で、もう1回は2008年、研修旅行の帰りに乗った「こだま638号」です。
研修旅行の帰りは乗っている人たちが子供連れかでっかいカメラを持っている「鉄」な人ばかりだったので、小さな撮影会になってしまっていました。まあ、僕のその例に漏れず、撮りまくったんですけど・・・。
一応、広島~岡山まで約1時間半乗ったのですが、あっという間でした。
この列車が新幹線を走っている姿がもう見られないと思うと非常に残念です。でも、その姿はずっと、人々の記憶の中に残っていってくれると思います。